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2012年09月19日
オオイシ
オオイシの歴史
当店は江戸時代から静岡のこの地で商売を始めた様です
さかのぼって資料的なものがあまりありませんが見つかった際には記録として残したいと思います
最初は 紙類・算盤の他 ロウソクや扇子などの日用品を扱い総称して扇屋と呼ばれていた様です
当時の屋号は 廣扇堂
慶応元年(1865年)名称を大石紙店とし主に帳簿を作って販売したり製本などもやっていました
おそらくその頃から今の文具・オフィス用品へと流れていったのでしょう
昭和24年(1949年)に株式会社に組織を変更
昭和36年(1961年)6月に当時の卸部門と小売部門をそれぞれ㈱静岡コクヨと㈱オオイシに分ける
㈱静岡コクヨは安倍川町→清閑町100番地→牧ケ谷と場所を移し
㈱オオイシは当時から現在と同じ紺屋町3-4にて営業し現在に至る(その間に建物の建て替え数回あり)
オオイシ 廣扇堂→大石紙店→オオイシ
大正13年(1924年)
浅間神社甘日会祭にて
店前でみんな法被で
良く見ると右の看板に
「大石商店」
中央看板には
「諸帳簿製本 廣扇堂」
左看板には
「大石紙店」
の文字が見られます
大石紙店に名前を
変えてからも看板には
昔の名前を残してた様です
よね 武夫 久世
昭和6年(1931年) 夏 新築
大石紙店の文字中央に
扇に「大」の字のマークがあります
「廣扇堂」時代のなごりが
縦看板には「帳簿の大石紙店」
おそらくこの建物は 昭和15年の大火か
昭和20年の空襲で失くなったんだと思います
建物を失った後しばらくの間
歌子の実家 大谷で商いをしていたそうです
昭和43年(1968年)
昭和20年代 表1・表2
裏
昭和37年(1962年)頃
はシャターの
デザインが違いました
平成24年(2012年) 1月
今現在シャッターは青紫(青に近いすみれ色)
1色に塗ってますが
■
2010頃までは ↓ このデザインでした(原画)
当店は江戸時代から静岡のこの地で商売を始めた様です
さかのぼって資料的なものがあまりありませんが見つかった際には記録として残したいと思います
最初は 紙類・算盤の他 ロウソクや扇子などの日用品を扱い総称して扇屋と呼ばれていた様です
当時の屋号は 廣扇堂
慶応元年(1865年)名称を大石紙店とし主に帳簿を作って販売したり製本などもやっていました
おそらくその頃から今の文具・オフィス用品へと流れていったのでしょう
昭和24年(1949年)に株式会社に組織を変更
昭和36年(1961年)6月に当時の卸部門と小売部門をそれぞれ㈱静岡コクヨと㈱オオイシに分ける
㈱静岡コクヨは安倍川町→清閑町100番地→牧ケ谷と場所を移し
㈱オオイシは当時から現在と同じ紺屋町3-4にて営業し現在に至る(その間に建物の建て替え数回あり)
それぞれの日付は撮影した日付です(建った日ではありません)
オオイシ 廣扇堂→大石紙店→オオイシ
大正13年(1924年)
浅間神社甘日会祭にて
店前でみんな法被で
良く見ると右の看板に
「大石商店」
中央看板には
「諸帳簿製本 廣扇堂」
左看板には
「大石紙店」
の文字が見られます
大石紙店に名前を
変えてからも看板には
昔の名前を残してた様です
よね 武夫 久世
昭和6年(1931年) 夏 新築
大石紙店の文字中央に
扇に「大」の字のマークがあります
「廣扇堂」時代のなごりが
縦看板には「帳簿の大石紙店」
おそらくこの建物は 昭和15年の大火か
昭和20年の空襲で失くなったんだと思います
建物を失った後しばらくの間
歌子の実家 大谷で商いをしていたそうです
昭和43年(1968年)
昭和20年代 表1・表2
裏
昭和37年(1962年)頃
はシャターの
デザインが違いました
平成24年(2012年) 1月
今現在シャッターは青紫(青に近いすみれ色)
1色に塗ってますが
■
2010頃までは ↓ このデザインでした(原画)
大石紙店卸部 後の 静岡コクヨ → コクヨ西関東販売 → コクヨマーケティング
紺屋町
↓
安倍川町
昭和34年{1959年)2月15日
↓
清閑町
昭和40年{1965年)12月22日
↓
牧ケ谷
昭和45年{1970年)10月26日
落成式
↓平成15年(2003年)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
写真無し 写真無し 初代
大石源七 ふさ
2代(廣扇堂~大石紙店)
大石源七(信太郎) よね
3代(大石紙店・同卸部~静岡コクヨ)
大石源七(弘三) 歌子
4代(オオイシ・静岡コクヨ~コクヨ西関東販売)
大石 惇
5代(オオイシ・静岡コクヨ)
大石辰治 信子
6代(オオイシ)
大石康弘
包装紙
ノベルティ
手ぬぐい・クリップ
創業の新説
紺屋町
↓
安倍川町
昭和34年{1959年)2月15日
↓
清閑町
昭和40年{1965年)12月22日
↓
牧ケ谷
昭和45年{1970年)10月26日
落成式
↓平成15年(2003年)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
写真無し 写真無し 初代
大石源七 ふさ
2代(廣扇堂~大石紙店)
大石源七(信太郎) よね
3代(大石紙店・同卸部~静岡コクヨ)
大石源七(弘三) 歌子
4代(オオイシ・静岡コクヨ~コクヨ西関東販売)
大石 惇
5代(オオイシ・静岡コクヨ)
大石辰治 信子
6代(オオイシ)
大石康弘
包装紙
ノベルティ
手ぬぐい・クリップ
創業の新説
Posted by 3ボラ at 09:30│Comments(2)
この記事へのコメント
これはとても貴重な写真を見せていただいてありがとうございます。
歴史あるお店ですね〜〜
シャッターの変遷も興味深く見させていただきました。
我が社は江戸時代から油屋だったとか・・・・
古い写真はどこにあるやら・・・・探してみたいと思います!
歴史あるお店ですね〜〜
シャッターの変遷も興味深く見させていただきました。
我が社は江戸時代から油屋だったとか・・・・
古い写真はどこにあるやら・・・・探してみたいと思います!
Posted by ミルクの母さん at 2012年09月27日 20:35
ミルクの母さんさん
ども! 突然古いアルバムから記事一番上の大正時代の写真を発見し
そういえば いろんなアルバムの中には街の様子や当社の建物の写真が点在してたけど
時系列に整理した事はなかったし昔から商売をやっていたのは知っていても
昔の事は少しでも記憶にある人から聞いて記録に残しておかないと忘れさられてしまうなぁと思い
ちょこっとまとめてみました
街並みもずいぶん変わり これからも変わって行くので
こういう記録って後から貴重な資料になったりするかもしれませんね
商店街の様子も 2012年9月12日や16日にも記事にしました
昭和20年頃より前の写真や資料は大火や戦争などであまり存在しないみたいです
今後も災害などで失ってしまうかもしれませんし
新しい情報や訂正などあればここに追記もしていこうと思います
ども! 突然古いアルバムから記事一番上の大正時代の写真を発見し
そういえば いろんなアルバムの中には街の様子や当社の建物の写真が点在してたけど
時系列に整理した事はなかったし昔から商売をやっていたのは知っていても
昔の事は少しでも記憶にある人から聞いて記録に残しておかないと忘れさられてしまうなぁと思い
ちょこっとまとめてみました
街並みもずいぶん変わり これからも変わって行くので
こういう記録って後から貴重な資料になったりするかもしれませんね
商店街の様子も 2012年9月12日や16日にも記事にしました
昭和20年頃より前の写真や資料は大火や戦争などであまり存在しないみたいです
今後も災害などで失ってしまうかもしれませんし
新しい情報や訂正などあればここに追記もしていこうと思います
Posted by 3ボラ at 2012年09月27日 23:12