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2012年09月12日

紺屋町名店街

当店のある「静岡紺屋町名店街」のおはなし

江戸時代
家康が永住の地と定めた駿府に移り 城を拡張して天守閣をつくったのが1601年
1609年の駿府は96カ町、人口2万5千人、面積433k㎡で
江戸と並んだ大都市として外国人の往来も見られた国際都市であったそうです

その中の紺屋町は名前の通り紺屋(染物屋)のあった地と推定されます
それ以降、明治・大正年間の界隈図(かいわい)を見ると、この付近には旅館も多かったようです
昭和に入って終戦後、昭和21年から22年にかけて駅前に店が並びはじめ  (当店は慶応元年~
24年に「駅前通り会」を結成し商店街活動が活発化してきました
25年には「駅前通り会」から協同組合「静岡駅前繁栄会」を設立しました
27年には駅前の商店街入口に「富士山ネオン」が落成して話題を呼びました

            紺屋町名店街
              1番駅よりのブロック 国道1号線に面した所(現 葵タワーの場所)

28年にはアーケードも完成しました                          (昭和30年頃の静岡駅)
静岡市は江戸時代から度々の大火に見舞われました 市街の防災、不燃化が商店街で促進され
紺屋町も39年から45年にかけて大きく変化していきました
39年に防災街区造成法による不燃化構造の共同ビルを建設し、近代化と土地有効利用のため
「準地下街」の建設に着手し6ブロックの防災街区と県下で唯一の地下商店街とで構成された商店街が誕生しました
43年3月に駅前の国道横断地下道
45年9月に駅前の全地下道の完成に伴い駅前広場と直結した理想的な商店街が生まれました
同年11月に組織を改め商店街名を公募し
商店街振興組合「静岡ゴールデン街」として新時代のスタートを切りました
が痛恨の極みは55年8月の「第一ビルガス爆発」でした
この事故は一層の商店街や建築物の防災設備・体制の変革を促し 社会的に大きな影響と多くの教訓を与えることとなりました
61年に被災ビルが再建するに及び地下道大改修工事に着手し
平成3年3月に完成しました
地上道路の歩行者優先を考え車のスピードの出ない蛇行形態や花壇が話題を呼びました
サンフランシスコの観光名所の蛇行坂道に因んでランバードストリートと呼んでいました
3年に「振興組合静岡紺屋町名店街」に改称
22年には駅前の葵タワーが完成し
それに伴い同調の仕様に合わせた地下街の全域の壁面改修工事を行いました
24年完成時 リニューアルした地下街の愛称を公募し「紺屋町Be-one」と決定

今後は地上道路の改修工事や併せて街づくりの実験なども予定しています

紺屋町名店街紺屋町名店街
紺屋町名店街

                                    当店のあるブロックの駅側から

通りの長さ228メートルの静岡駅前の玄関口の商店街(スクランブル交差点より先は呉六・呉服町へと続く)
これからも来街者に心地よい環境整備や様々なイベントで盛り上げていきたいです
同時に個店も魅力ある店づくりが必要だと思いますので当店も街といっしょに頑張ります!


昭和27年に駅前の商店街入口に「富士山ネオン」が完成した時のチラシ
マップの「大石紙店」は当店「オオイシ」の前身です

紺屋町名店街
タグ :オオイシ


Posted by 3ボラ at 09:30│Comments(0)
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